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音響の堀江さんに頂いたうどん風グミ♪
開けるのたのしみだーぁー


向上心について。
向上心を持ち続けるのってつらくて苦しいことだと思うんだ。
常にいまの自分より「良い」「上の」状態を目指すわけだから、
いまの自分に足りないところ・至らないところを認めて、向き合っていかなくっちゃいけない。
自分のダメなところなんて見たくないし、なかったことにしたい。


スポンジみたいなときは、とにかくなんにも知らないから、
どんどん吸収して上手になってやろう!とかそんな風に思うのは楽しくて、希望に溢れてて、
未来の可能性を信じて突き進んでいけた。 


いつからだろう?
こんなプライドをもっちゃったのは。
プライドがあるから、知らないことが受け入れられなくて。
プライドがあるから、できないことがものすごいストレスになって。

そういう部分から目を背けたくて、それでも向上心を失ったらだめだってプレッシャーもあって。

板挟み。


だから、いっそ向上心を持つのとかやめた!
考えない!


って思ってたんですよ。

今の自分にできることをやるくらいで、十分じゃないかって。



そんな風に開き直っちゃうことで救われた部分もかなりある。
「向上心を持たなきゃ」「向上していかなきゃ」なんて義務感は、いらないんだナ。


だーけーど、


ぽやっと、
”もっと良くなったら、もっと楽しいヨ”てことを言われてるって信じられる瞬間があって。


今まで、お芝居観に来て、
「あーだったこーだった」って言われるのが実はしんどくて、
そりゃあ、「楽しかった」「面白かった」とか言われるのは嬉しいし気持ちいいですよ。


でも、そんな風ばっかりじゃないから。
「ここはもっとこうだったほうがいい」「ここはもっとこうだったらよかったのに」
そんな風に言われることも沢山ある。



その言葉をふむふむ、っていかにも興味を持って聞く、っていうのがもうしんどくて。


稽古場で考えて、試して、できることをやって、 それでつくった作品を見せて。
あとは観た人のもの。

っていうほうが健康的だなって思ってたんです。



それは確かにそうだなって思うし、必要以上にふむふむ、って聞くことはないとは変わらず思うのだけど、


「もっとこうしたら?」

って伝えてくれるひとの中には、先にも書いた、 
”もっと良くなったら、もっと楽しいヨ”てことを言わんとするものがあるんだなってふと信じることができて。



もっと複雑で深い表現ができるようになって、観る人にもっと楽しんでもらいたい。とか。
そういうことは心から思う。
もっと楽しんでもらったら、わたしももっと楽しいし、ハッピーになる。
 

そういうことは思う。




お!




これ、向上心ではないか。と。






義務感の向上心は辛くて苦しいだけだけど、 
もっともっとハッピーになるための向上心だったら、それは、超いいやん。と思ってん。



もっと笑ってもらいたい。
もっと泣いてすっきりしてほしい。
もっと想像できる表現がしたい。
もっとおもしろい身体で舞台に立ちたい。
もっと美しく舞台に立ちたい。
もっと艶っぽく舞台に立ちたい。

ぜんぶ、もっと楽しんでもらったり、愉しんでもらいたい。
そうしたら、ハッピーだなぁー



なんだ、良い感じだぞ。




そそそ!



小角まや